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【旧・昭和塾堂を見学!】
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(平成13年8月8日撮影)
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「旧・昭和塾堂」は、昭和3年に愛知県が、国威高揚と国民精神総動運動の中心として、当時盛んだった青年団活動の教化の場所として建築した建物で、当日の日本建築学の権威だった、佐野利器博士の助言の元、愛知県営繕課が設計したものです。 4階建ての中央の塔を中心に、三方に2階建ての棟が広がった外観で、鉄筋コンクリート構造になっていて、講堂や神殿、教室、食堂、図書室、寝室、浴室、貴賓室などが設けられていました。 完成後は、愛知県下の各種の青年団が、3日から10日の日程で講習を行いましたが、第2次世界大戦が激化した昭和18年には、日本軍に押収され、いかり部隊や東海軍司令部が置かれました。 終戦後の昭和20年には、焼失した名古屋大学医学部として使用された後、教育文化研究所や県職員研修所、千種区役所の仮庁舎と、様々な形で利用されました。 その後、愛知県から城山八幡宮に払い下げられ、愛知学院大学の大学院研究棟として利用されて現在に至っています。 昭和初期の建築物として価値のあるものですが、建物の老朽化が進み、早急に保存方法を検討しなくてはいけない状態になっていますが、戦前の教育の象徴的な建物でもあるために、文化的価値を考える際に難しい部分もあります。 ただ、そういった過去の精神的な負の遺産とは切り離して、城山の象徴として保存・活用を検討して行きたいと、城山・覚王山地区魅力アップ事業実行委員会は考えていますし、城山商店街もバックアップしています。 では、平成13年8月8日に一般公開した時の中の様子を見てみましょう。 |